新書の棚は、問いでできている

ゾウもネズミも、一生のあいだに心臓が打つ回数はほとんど変わらないそうです。では、ゾウとネズミは「同じ長さの一生」を生きているのでしょうか。

目の見えない人は、世界をどう「見て」いるのか。

なぜ日本の組織は、会社でも役所でも部活でも、放っておくと序列と身内意識で動くようになるのか。

実はこの3つの問いには共通点があります。どれも、書店の新書コーナーに何十年も並び続けている本の主題だ、ということです。

目次

新書コーナーは「答え」ではなく「問い」の陳列棚

新書というのは、書店の入り口あたりにある縦長の小さい本のことです(新刊という意味ではなく判型の名前。レーベルごとの性格は別の記事に書いたので、ここでは繰り返しません)。

その新書の背表紙をよく見ると、かなりの割合がそのまま問いの形をしています。問いの形をしていないタイトルにも、副題や帯にはたいてい問いが隠れている。『独ソ戦』の副題は「絶滅戦争の惨禍」——ふつうの戦争が、なぜ絶滅戦争に変わったのか。『応仁の乱』——京都を焼いて11年も続いた内乱は、結局なんのための戦いだったのか。

つまりあの棚は、答えの陳列棚である前に、問いのカタログです。そう思って眺め直すと、棚の前での体験が変わります。どの背表紙で足が止まるかは、自分でも気づいていなかった関心のありかを教えてくれる。私は新書コーナーを、本を買う場所というより「今、世界で何が問いになっているか」を確かめる場所として使っています。手ぶらで出てくる日もあります。それでいい場所です。

試験のない勉強は、こんなに気楽だ

学校の勉強がつらかったのは、内容のせいというより、他人が決めた順番を、他人が決めた速さで進んで、最後に採点されたからだと思っています。大人の読書にはどれもありません。順番は自由。速さも自由。途中でやめても誰にも怒られない。なぜ、を追いかけることが勉強や読書の本当の目的です。

そして問いをひとつ持って暮らすと、日常の見え方が少し変わります。たとえば大野晋『日本語練習帳』(岩波新書)が立てる問いのひとつは、「は」と「が」はどう違うのか、です。国語学者が一生かけて考えた問いですが、知ってしまった側にも効きます。この問いを知って以来、自分の書くメールの助詞の使い方が変わるでしょう。

いい本は、答えより問いを増やす

新書は200〜300ページほどで、ひとつの問いに専門家がひとまずの答えをつけます。ところが困ったことに、いい本ほど、読み終わったときに手元の問いが増えています。「生きているとはどういうことか」を追いかける福岡伸一『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)を読むと、こんどは「ではウイルスは生きているのか」が気になりだす——実際この本は、その問いから話を始めます。答えの手前と向こうに、次の問いが待っている作りです。

答えを得て終わりなら、読書は消費です。問いが次の問いにつながるなら、それは連鎖です。新書の巻末には参考文献という「次の問いへの地図」までついている。1冊が終点ではなく分岐点になる——この判型のいちばん面白いところは、そこだと思います。

冒頭の答え合わせ

ゾウとネズミの時間の問いは、生物学者・本川達雄『ゾウの時間 ネズミの時間』(中公新書)。1992年刊、30年以上読み継がれている科学新書の定番です。動物のからだのサイズから「時間」を考え直す一冊で、読んだあと、動物園の見え方が変わります。

見えない人の世界の問いは、美学者・伊藤亜紗『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書)。2015年刊。「視覚の欠如」ではなく「別の体の使い方」として読み解いていく本で、こちらも10年読み継がれています。

そして日本の組織の問いは、社会人類学者・中根千枝『タテ社会の人間関係』(講談社現代新書)。1967年刊。半世紀以上前の本なのに、いまの職場の話としか思えない、と言われ続けてきた日本論の古典です。

いちばん古いものは60年近く前の本です。それでも3冊とも、いま普通に書店で買えます。答えのほうは研究が進んで更新されていくものですが、いい問いは古びない。新書の棚が面白いのは、こういう「古びない問い」の在庫が90年分あって、しかもそこに毎月30〜40の新しい問いが補充され続けているからです。

どの問いで足が止まりましたか

それがあなたの1冊です。答えが気になった本を1冊だけ持ち帰って、途中でやめてもいいので開いてみてください。選び方や読み方の実用的な話はこちらのガイドに、毎月補充される新しい問い——つまり新刊——は新刊まとめにあります。

※刊行年などの書誌情報は執筆時点の公開情報に基づきます。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次